Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

チャウンウー〜パコック、3度目の正直!

チャウンウー〜パコックに乗車する。
何年もの間、乗車を逃してきた区間だ。2回チャレンジ2回アウト、パコックで宿泊して翌朝乗車しようとしたものの、事前予約していたバイタクがホテルに来なかったという案件のリベンジ。パコックという地方都市のなかでも一、二を争うきちんとしたホテルだけに、ミステリアスな出来事だった。なかなかツキのない区間だけに、今回はチートと云われようが、なりふり構わず「逆から乗る」と云う解決策を取った。
パコックと云う町、ある程度人口も市街地の広さもある。れっきとした地方都市なのだが、タクシーと云うものをほとんど見かけない、謎めいたところがある。駅やバスターミナルでもそうなのだ。タクシーコールを周囲の地元の方に問うと、おおよそ本人あるいは周囲の人が白タクに化ける展開になる。なお、パコックはマグウェ管区の北端に近いエリアの町である。このマグウェ管区、ビルマ族が多数派である7管区の中で最貧の地区と云われている。このあたりに何かカギがあるのかもしれない。


モンユワを昼過ぎの14時に出発、チャウンウーは15時過ぎに発車となる。
モンユワは好きな街で、半日ほど散歩できたので良かった。しかし見事なまでに店員・バイタク・サイカーの運ちゃんたち以外と話さない感じで、不思議に言葉がなくなっていく感じがする旅となっていた。



全然関係ないけど、気になるキンウーゆき60DnはDD954牽引のこちらの編成。

昼下がりの歩廊

124Dn、RBE3041。モンユワ発マンダレーゆきは、快速多治見ゆき。パコックゆきに1時間先行して発車するこちらの列車に、せっかくなのでモンユワからチャウンウーまで乗車。しかし途中区間で線路を直している工事現場に遭遇、1時間ほど足止め
1450ころ約1時間遅れで124Dnがチャウンウーに到着

次に乗る本命の列車は126Dn/121Upと云う微妙な列車名。モンユワ〜チャウンウーが126Dn、チャウンウー〜パコックが121Up。

こちらは1525頃チャウンウーに到着。DD957牽引(写真はモンユワで先に撮影したもの)。貨客車に乗ったら止められ、普通のオーディナリーにご案内された。
「平行道路から二度眺めた線路上にいる気分はどうだい?」「いい気分のような、しょうもない気分のような……」
ちなみにモンユワ〜パコック間、バスと比べると列車は倍くらい時間がかかる。
席は水色FRPの普通のオーディナリー。うつらうつらしていた前席のおばちゃん、起きたと思ったら葉巻をぷかり。自由な世界ですね…。
並行道路がないわずかな区間で多くの乗客がたくさんの荷物を持って乗降。こういう需要があるわけですね。


パコックへのアプローチ、すっかり暗くなった車窓に、灯りのともる家家が見える。電気がなければ灯りはつかないわけだから、このあたりはまだ豊かな地域と云う事ができるかもしれない。実際どうかは、わからないけれど。
パコックの宿へバイクタクシーを走らせる。どうやら北東の町はずれから逆の南西の町はずれまで移動するような雰囲気である。今回は前回までとは別の評判の良いホテルにしたが、客室のレベルはほぼ同じで、浴室があるだけ、今回のホテルのほうが上級かもしれない。泊まるだけ、寝るだけならどちらも快適であった。どちらも近所にビールを飲める食堂もある。

今回乗り潰した線区は、三度目の正直、リベンジであった。最初に乗り逃がしたときは、まだミャンマー国鉄完乗を真剣に考えていなかった。その結果に呆然としてバスを待ちながら、もう乗る事はないかもしれないとも思った。日本車のRBEが走るようになったら乗るかもくらいの気持ちだった。だが、RBEが走った短い期間に私はこの線区に乗れなかった。それが今、こうして乗り心地の悪い客車列車に揺られる事になろうとは。
無聊(ぶりょう)を慰めるためなのか、情熱のためなのか。わからなくなる。
しかし、未乗区間の事を考えていると、心が躍るのは間違いない。
もうしばらく旅を続けたい。


ミャンマー国鉄線完乗まで残り7線区。(3)のパコックー〜ヂョー間では、また早朝にパコック駅を目指さなくてはならない。今から憂鬱である。どういうタイミングになるにせよ、ホテルジュノに宿泊予定。
(1)クヮンタウン〜ポナジュン〜チャウトー
(2)ガンゴー〜カレー(ナッチャウン〜カレー間橋梁工事のため運休中)
(3)パコックー〜ヂョー
(4)ナバ〜カタ(南)
(5)タウンジー〜シーカウン(サイカウン)(路線はナムサンまで。到達可能地点要確認)
(6)アウンバン〜ロイコー
(7)ターズィー〜ニャウンシュエ〜ヤッサウ