シャン州の州都、タウンジー以南への路線がある事は以前から確認していた。
4年くらい前になるだろうか、一度、この地に住む日本人女性とメールのやり取りをさせていただいて、この区間の列車がRBEでない事、外国人は乗れない事を確認していた。
数年経った今、乗れる事を、下川裕治氏著『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編(双葉文庫)』*1、と云うかその前段のWebの記事(書籍化後、消去されている模様)にて知った。
元来、線路はナンサン、モンナイといったシャン州奥地の町に通じていたが、NLD政権になった後、乗客の少ない区間は運行休止となって、運行区間は最盛時の1/5程度まで短くなってしまったようだった。タウンジーからサイカウンと云う聞き慣れない町*2までの運行になっているとの事。
前述の日本人女性がまだタウンジー在住であり、ご主人が旅行会社を営んでいる事から、道中の自動車を手配していただき、鉄道旅程前後の送迎をお願いしてこの区間の乗車をこころみた。なお、妻と古くからの友人を同行した。二人とも私のような重症患者ではないものの鉄道旅行には馴染んだ身であり、これまで日本人が数名しか乗っていないと思われる辺境の地に同行してもらうのもなかなか乙なものと思ったが、お互いに齢を重ねているところもあり、少々過酷でもあったようだった。それでもなんとか楽しんでいただいたようで何よりでした。
タウンジー駅。市街中心からは少し離れた場所にある。
タウンジー駅の駅名標は色つきでちょっと豪華版な感じ。
153Up:DF2007+SMBDT45087(乗)+SMBDT45046+VBHV11702
きっぷは硬券。タウンジー駅は1430定発。
1つ停車場あり、パンモー駅(上の写真)1457発、さらに1つ停車場あり。
幹線道路の踏切があってすぐ停車。4つめの停車=2つめの「駅」でナウンカー。1521発。ナウンカーの駅舎ではないかと思われた建物は、翌日見たところ民家として使われていた。出札口はなかった。
沿線はパオ族居住地が多い。タウンジー駅で満席だったパオ族の女性たちが各駅で降りてゆく。駅名の耳コピ協力はパオ族のおばちゃんたちです。彼女たち、ビルマ語が通じません。上の写真はHang Siハンシー駅。
1602ハンシー〜カックー間で幹線道路と合流するあたりで乗降場停車
1610カックー駅発、
カックーの駅を出てすぐ左手にカックー遺跡入口のモニュメント、カックー遺跡、カックー村落の五日市の会場等が見えてくる。上述の下川裕治氏の著作にはこの周辺の記載が一切なく、見落としたものと思われる。逆の車窓を見る席に座っていると、わからない可能性が高い。
1624次の乗降場発車、1631カックーからの道路の踏切で乗降停車あり。
正規の駅ではない無人駅にも、駅名(地名)が記載されているところがあったりなかったり。
1636、ナウンエーではないかという駅。無人駅で駅名標が1枚だけあり、消えかかっている。
1648バニン発。GoogleMapのBanyinの南方の集落にある駅で正解でした。
1704ロイッサンスィッ発車。GoogleMapの無名の集落、旧交換駅。駅のホームや東屋はあったが駅名標が見当たらなかった。ロイッサンスィッは「30の山」の意味だそう。ロイが山*3、サウンスィッが30。
1718終点サイカウン着。定刻1725着のため、7分早着ですね。
夕日と花がきれいだった。
3線あるうちの2線を使って、車掌車を最後尾に、機関車を先頭に立つように機回しが行われる。
その様子を撮影しているうちに列車スタッフと意気投合、機回しの後すぐに酒盛りが始まってしまう。
シャン州ではポピュラーだと云うお酒。マンダレー・バガン・モンユワ周辺で見られるような密造酒ではなく、雑貨屋で買えるような市販のもの。Khaung Yae、カウンイェーと云う名前で、「良い水」と云う意味ではないらしい。発泡日本酒の『澪』に似た味わいで、おいしかった。飲み口が良いので調子に乗って飲むと痛い目に遭うやつである。と云いつつも、楽しく飲ませてもらって、愉快に夜を迎えた。
ここから先、この時間の公共交通機関はなく、前述の借上げ自動車を手配し、回送してもらっていた。運転手は既に何度かお世話になっているシャン州出身の方で安心。酒盛りに関しても嫌な顔ひとつせずに「待ってるからどうぞどうぞ」と云う気持ち良い対応。まぁ一緒に酒盛りに(さすがに酒は飲まずに)参加していたんですけどね!
自動車での回送はタウンジーまで。タウンジーのホテルに宿泊しました。
ミャンマー国鉄完乗まであと4線区。