ナバ〜カタ(南)間に乗車する。
自分の中では、ミャンマー初訪問以前から存在を知っている路線であり、終点のカタは自身が嫌いというわけでもないジョージ・オーウェルゆかりの町でもある事から、乗車するのが遅きに失した感は、実際のところ、ある。
カタ以遠にはさらに、カタ(南)〜カタ(北)〜モータジー(Moetargyi)〜チャウッチー(Kyaukkyi)区間に比較的最近開業した路線があった。しかしながら、2016年にモータジー〜チャウッチーが、2017年にカタ〜モータジー間が運行休止となってしまった。この区間には日本車RBEが走っていたと云う。私がもっと早くにカタまでの区間に乗っていれば、そのRBEに乗れたかもしれないと思うと残念だ。しかし今となっては後の祭、カタ地区からRBE運用は消滅してしまった。もっとも郊外の村落のようなチャウッチーを朝出て、夕方にカタから戻り、チャウッチーで列車や乗務員が停泊すると云う僻地停泊型、私が云うところのレイローイン方式だった。推測するに、チャウッチーに外国人が宿泊できたかなどはかなり怪しく、難しいミッションだった事は間違いない。
乗車が遅くなった原因は、プライオリティよりも、この線区の場所にある。日本から直通便の飛ぶ最大都市ヤンゴンから遠いのはもちろんの事、国内線の就航があるマンダレー、ミッチーナーのどちらからも遠いのだ。一番近い空港は、時折紛争が発生するバモーである。旅行で他の地域に行ったついでにも、赴任時にヤンゴンから向かうにも、日程的にNGとなる事が多かった。
さらに実際に乗ろうとした2018年初頭、なんとカタ地域自体に外国人立入禁止措置が取られていた。そんな事もあって、到達が遅くなってしまった。
今回はそのあたりの安全情報も最新版で確認しつつ、現地の旅行会社に飛行機や自動車の手配をお願いした。ホテル・観光省のWebサイトには2018年8月時点でも「カタ地域外国人立入禁止」の表記が残っていたが、ここ半年更新された形跡がない。旅行会社からネピドーのホテル・観光省の複数の担当者に確認をとっていただいた。
結果は「カタには船・鉄道・自動車で入境可能。ただし、外国人はマンダレー〜ナバ間の自動車移動は許可されていない」である。時間の制約から自動車での移動を考えていたため、小難しい回答となったが、要するにマンダレーからナバ、カタへ列車で行ける。
行けるならば、行くしかあるまいと思う。
ヤンゴンから朝の飛行機でマンダレーへ。マンダレーミーシャの朝食をとって、マンダレーからナバへは、特別急行ミッソン・マンダラー号、37Upに乗車する。マンダレー定発1130、ナバへはほぼ定時の夜2230着。実に11時間乗車した。これだけで長旅であるが、約4年ぶりとなるキンウー以北のミッチーナー本線の車窓を、明るい時間帯に見られたのは収穫だった。途中、RBE運用の列車ともすれ違ったが、暗くて車番判別できず。ミッソン・マンダラー号は特別急行列車らしく食堂車の設備もある。火を使う厨房が健在なので、料理もうまい。日本の鉄道マニア的にも楽しめる路線になってきた。
ナバへはカタホテルの送迎車が来てくれていた。ナバ〜カタの道は幹線道路ではあるものの、峠道であり、夜は真っ暗である。深夜でもあり、送迎は大変助かる。深夜帯という事もあってか、ナバ〜カタ間を通して、トラック数台とバイク十台前後とすれ違っただけであった。三十分弱でホテルカタに到着。
ホテルカタは町一番のホテルといった風だったが、発展途上国ではたまに遭う事態、シャワーの湯温が心が温まらない程度のぬるさであった。以前宿泊した落花生。さんはお湯が出なかったと云うから、まだましかもしれない。ちなみにシャワーではなく蛇口からは熱い湯が出た。このお湯がシャワーから出れば満点なのだが。
翌朝は少し時間があったのでカタの町を歩く。ジョージ・オーウェルゆかりの建物はあるようだったが、公官庁の所有になっていて敷地が閉鎖されていた。遠目に見るだけで近づくことは憚られた。博物館などにして開放すればいいのにと思う。ただ、ジョージ・オーウェルのビルマに関する著述は、あまりいいことを書いてないので、ミャンマー的にはジョージ・オーウェルをフィーチャーするのは気乗りしないのかもしれない。
さほど大きくないカタの市街地を徒歩で一周して町外れにある駅にたどり着く。
51Up:ナバ0630-カタ0815
52Dn:カタ1315-ナバ1505
時間じたいは常識的なもので、特に問題ない(ミャンマー国鉄の外辺地域の支線群のなかでは優良な部類に属する)
52Dn:DD959+SMBDT45045+SMBDT45055+BBEZ10592
この列車に乗ってナバに戻る。客車は貨車改造のものだ。
三角形を形作るカタ(北)への分岐線を確認。両方向とも草に隠れつつあった。
同乗の荷役にヒマワリの種をもらってバリバリ食べながら、峠を登る。彼らに向こうの山でかつて戦があったと聞く。外来語のみ英語で、あとはほぼビルマ語なので、それが第二次世界大戦中の事を指すのか、内戦のことなのか、よくわからなかった。川向うに道が見えれば「あれがマンダレーへ向かうハイウェイだ」と説明してくれる。すっかりナバまで行くものと思っていた彼らは一駅目で下車した。バイクが一台だけ迎えに来ていたが、荷物をどうするのだろう?
ナバ〜カタは峠区間が多く、いきおい車窓もこのような草不可避の場所が多い。窓の近くにいると草はともかく、木の枝の殴打をくらうので前方注意が必要である。
我が52Dnはカタ1315定時発、ナバ1502着。ナバの手前の信号場で二十分ほど待たされたが、本線の開放待避らしく、所定なのかもしれない。
ナバ〜カタは、自分の想像していたナバ→カタへの順行ではなく、逆走で完走した。
長い間、想像し、憧れた路線であったが、乗ってしまうとあっけない。できれば気動車のRBEでも乗ってみたかった線区であった。
帰りは寝台列車の56Dnでマンダレーまで戻る。寝台車に乗りたかったが、満席で、ナバ駅の割当もなさそうであった。結局アッパークラスで夜明かし。列車は程よく遅れ、朝五時半ころマンダレーに到着した。
気がつけばミャンマー国鉄線完乗まで残り2線区である。
(1)クヮンタウン〜ポナジュン〜チャウトー
(2)ガンゴー〜カレー