Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

パコック〜ヂョー、二回目の三度目の正直

ミャンマーのほぼ中央部にあるマグウェ管区北部の中心都市パコックから各方面への列車は早朝の時間帯に順次発車する。
パコックでは過去に二度、乗るつもりだった列車に乗れなかった苦い思い出がある。
パコックで宿泊して翌朝乗車しようとしたものの、事前予約していたバイタクがホテルに来なかったのだ。パコックに限った話でもないとは思うのだが、同様の事態には他の都市では遇った事がないので、巡りあわせが悪いのだろう。
前回はなりふり構わず、逆方面から乗車する事によって三度目の正直の解決を見た。モンユワ郊外のチャンウー〜パコック間に無事乗車した。
今回はパコックからさらに僻地への旅となるため、逆からの乗車は少し難しい。落花生。さんが夜行バスを未明に途中下車してヂョーから乗っているけれど、そのバスをどこでつかまえるかなど判断が難しいところであった。ヂョー着が未明と云うより深夜と云ったほうがより正確であるという情報もあった。
さらに自分の中で「パコック早朝発の列車にどうしても乗ってやりたい。真の三度目の正直を果たしたい」と云う、どうしようもない闘争心のようなものがめらめらと燃えていた。
ついては、落花生。さんをも含む複数の友人の間で「このホテルに泊まれば早朝のバイタク手配も安心だ」と云う集合知の評価が定まりつつあった「ホテルジュノ」に前泊し、翌朝のバイタクを手配した。

翌朝、ホテルの部屋で準備万端になったところで、頼んでもいないモーニングコール。
「あなたのタクシードライバーが来ていますよ」
有難い話である。

無事、出発時刻の30分以上前に駅に到着する事ができた。


機関車の併結シーンを見られるほどの時間の余裕! 大勝利!
ホームの端にスタンバイするRBEのセフュー運用、パコック〜タウンドウィンジー運用も気になるところ。


SeikPhyu(2):RBE5053+RBE2596
108Dn(Pakokku):RBE2524(多分)

129Up:DF2008+GBHDT40101+GBHDT40115+SMBDT45084+VBHV11810
我らが129Upはクラクションをがんがんならして0530定発。そんなに混んでいなかった。


列車はMyaingミャイン(一部GoogleMapではマイエイング)でエンジンを止めて停車。0635着。

朝ごはんタイム! おいしい麺でした。豆のスープもおいしい。0704再出発。

Ze Pya でDF2006牽引の130Dnと交換。1016、130Dnはすぐ発車。129Upはしばらくエンジン止めたままでZe Pya1030出発。30分遅れ

次の駅Min Kaingには坂上側に安全側線を発見。一番最初、未知の支線? と思ったほど大規模なものでしたが、ここから先、安全側線は各所にありました。

その先の切通区間で落石箇所あり、列車にいるスタッフだけでは対応しきれず、応援も呼んでいました。1時間40分ほどロス……


スリリングな高度の橋梁あり…

1339/44 Kyaw Thar(?)面白い隣駅表示。数字はマイル?

道路が隣にあると少し視界が開ける。


途中には三段スイッチバックもあり、なかなかにエキサイティングな峠ルート。


1523ヂョーに到着。ここに到着した旅人は、分断された鉄路が北のカレーミョへと延びるガンゴーへと向かう事が多いかと思う。しかし私には時間がなかった。翌日は仕事である。となれば、今日中にヤンゴンへ帰らなければならないが、列車の遅れもあって、飛行機に間に合う時間までにニャウンウーに戻るのは物理的に不可能。結果的には私はヤンゴンへと向かう夜行バスの座席を確保した。
だが、そこへ至るまでの道のりがやや狂った。ヂョー駅を出て北(左)方向に歩くと最初に交差する道がガンゴー、カレーへと至る国道である。その道を左へ曲がり、しばらく歩くと左手に食堂があり、そこがバス停である。ガンゴー、カレーミョ方面、パコック、マンダレー、モンユワ、ヤンゴン方面、どちらもここで良い。これが正解だ。
しかし私はその道が国道とは到底思えず、手持ちのスマホGPSも電波が弱かったのか、正確に動いておらず、もとの道を直進した。しばらくは住宅地のなかだったが、その後田舎道になった。少々不安になりかかったところにちょうど通りがかった軽トラックがいて「パコック方面に行きたいんだけど、こっちかしらねぇ」と聞くと、英語が喋れるドライバーが「乗っていきなよ!」と云ってくれ、乗せてもらった。が、数分荷台でミャンマー語しか喋れないおっちゃんたちと話していると、どうもおかしい。3回くらい「パコックに行くバスに乗りたいんだけど、こっちでいいの?」と何語ともつかぬ説明を繰り返すうち、気づいてくれた彼らの一人が「おい、こいつ違うところに行きたいみたいだぞ!」と運転手に合図を送り、軽トラックは緊急停止した。峠の入り口にある数軒のみの集落だった。
彼らはどうやら山の上のほうで何かを掘削する工事をする作業者のようだった。道路建設工事のような話に聞こえたが、鉱山等かもしれない。その工事現場には監督とか発注者なのか、どうやら中国人が出入りしているらしく、現場に東洋人が同行する事を不自然に思わなかったらしい。危うく山中に拉致されるところであった。彼らはまったく善意だったのだけれども。

停まった場所の前に民家があり、主人がバイクでバスの発着所まで送ってくれると云う。ぬかるんだ道をバイクで行くのはやや怖かったが、10分ほどですぐ着いた。送った主人にお礼を云うが、お金はいらないと云うので、食堂のジュースだけ奢らせていただいた。
そこで2時間ほど待ったが、云われていた予定よりやや早くヤンゴン行き夜行バスが到着し、乗り込んだ。
深夜はペース良く走っていたが、明けて早朝、バゴー付近のサービスエリアで朝食を取る悠長さが出た。ヤンゴンのバスターミナルに着いたのはちょうど職場の始業時間だった。

当日の様子Twitter


ミャンマー国鉄線完乗まで残り3線区。
(1)クヮンタウン〜ポナジュン〜チャウトー
(2)ガンゴー〜カレー
(3)ナバ〜カタ(南)