はてなハイクでも既報のとおり、片道2時間半ほどかけて、青山学院大学で開かれた国際会議「冷戦終焉20年 鉄のカーテン解体からベルリンの壁崩壊へ」に行ってきました。
講演の内容は、とても興味深かったので、ランズベルギス元議長の発言中心ですが、以下に少し記します。
第1部におけるランズベルギス元議長*1の講演は、やや概論の時間が長くなってしまい、途中で時間切れとなってしまいましたが、気になった点をいくつか。
- ベルリンの壁崩壊20周年にあたって。当時崩れ去ったのは物理的な壁だけでなく、人々の心の壁でもあった。鉄のカーテンを破壊する事によって、人々のなかの自由の心の開放があった。
- ヒトラー・スターリンによって1939年に作られた線引きによって、不当な体制が作られた。フィンランド、オーストリアだけが例外的にそれを免れた。不当・犯罪的であっても、一度作られてしまった体制は長く続く。今なおウクライナの民主化革命に際してプーチンが「内政問題だ」と発言している。ウクライナはロシアではないのでは?
- 『中欧"Central Europe"』と云う言葉を使用。
- 民主化の流れは今も続いているが、今は下降期だ。
- リトアニアの独立をプーチンは「人類にとっての悲劇」と云っている。
- リトアニアの独立は他国にも影響を与えた。ソ連と云う刑務所からたくさんの人が出られた。
その他の講演も大変興味深かったです。特にハンガリーのスタニスキス博士の「鉄のカーテン開放秘話」は興味深かったです。当時からオーストリアに隣接したハンガリーが先進的な役割を果たし、東独の難民がハンガリー・オーストリア経由で西独へ亡命したとされていましたが、ハンガリーの内政的には「開放」よりも国境の鉄のカーテンを維持できなかった「経済的事情」のほうが大きかったようです。しかもソ連のゴルバチョフには報告済みで、ゴルバチョフはそれを黙認したとの事。ソ連も経済的に厳しく、ハンガリーの国境へ金銭を出せなかったのかもしれませんが、スタニスキス博士は「この時ソ連・ゴルバチョフは判断を誤った」と述べています。
そして曰く「小国であっても、政治家が正しい判断をすれば国際政治に影響を与えられる」
経済的に已むを得ない側面はあったにせよ、ハンガリーの決定、勇気づけが予想外に民主化の流れを加速したと云えましょう。
コーヒーブレイクをはさんで、第2部はパネルディスカッション。参加者からの質問に答えてもらう部分もありました。
- ロシアをどう捉えていくべきか?(日本として中国をどう捉えるべきか、と似た問題として)
- ランズベルギス元議長『周辺国を従属国としか思わないロシアに対して礼儀正しくするのは弱みととられる。宥和政策をとるべきではない』
- ソ連とEUの違いは? どちらも主権を委任するかたちをとるが……?*2
- ゴルバチョフを今どう思うか? 彼は社会主義体制を堅持しようとしたが、民主化の邪魔もしなかった
- ランズベルギス元議長『ゴルバチョフを一つの人物像として捉えるべきではない。特別な役割を担っていたし、改革についても何年かは成功していたが、課題が能力を超えてしまった。各国に自決権を認めるかと云う根本的な判断を求められたが、それをたやすく手放すのは難しかったはず。独立を認めるのか、おしとどめる(それはすなわち改革を止め、経済成長を止めることとイコールであった)のか』
- 『1991年1月、ヴィリニュスに武力介入(ゴルバチョフは当時反対し、決行時は寝ていたと述べたが、最終的には認めたと云った。しかし、公式には認めていない)したが、ソ連と云う帝国は結局崩壊した。彼を賞賛はしない。だが流血の責任を問う事もしない。それが彼の役割だったのだから』
1991年1月、ランズベルギス議長がホットラインでクレムリンにかけた電話に、ゴルバチョフは出る事はなかった。
ランズベルギス元議長の、ゴルバチョフに対する複雑な心境が窺われました。
全体的な話として、「ゴルバチョフはソ連を改革しようとはしたが、ソ連を崩壊させようとしたわけではない。中欧諸国の支配もやめるつもりはなかった」「東西どちらの指導者もベルリンの壁がなくなるなんて思っていなかった。まだ100年くらいその体制が続くと思っていたし、それを希望(ソ連・東独・イギリス・フランス)していた」と云うのが共通認識としてあるようでした。
東欧革命では、とかくベルリンの壁崩壊や、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻処刑などの派手なシーンを思い出しがちです。改革についてもゴルバチョフやポーランドのワレサあたりが大きく取り上げられます。今の世界史教科書ではそうなっているのかな?
しかしながら、ハンガリーやリトアニアのような小さな国が起こした勇気や行動が、世界を大きく動かした事もまた事実で、日本でももっと注目していってもいいのかなと再確認しました。
リトアニア独立を勝ち取った政治指導者である、憧れのランズベルギス元リトアニア最高会議議長に直接お目にかかれたのが、とにかく光栄でした。こちらは一聴衆の身でありましたが、去り際に「興味深いお話をありがとうございました」と話しかけると、ありがたい事に握手して下さいました。その手はとてもあたたかでした。しあわせでふくふくとしました。厚顔で恥知らずでもうしわけございません。
若かりし日、情熱を持って見守った事案について、2000年に現地も訪れましたし、それからさらに10年弱、そろそろ青春を終える年齢を迎えるにあたって、今回の講演を聞いた事がひとつの区切りとなった気がします。少し無理をしましたが、行けてよかったです。