Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

死んだ子の歳を数えるエーヤワディ西岸鉄道の未開通区間、最後の橋梁の末路

落花生。さんに謎の跡を追っていただき、さらに未開通区間にある橋梁の現状を教えていただいたので、GoogleEarthでHistoryが見られるようになった、Pwintbyu北にある、当初は何の変哲もないと思っていたモーン川橋梁を追ってみます。
なお、黒い実線は線路敷のルートを表します。
2010/1/11

川の北側で路盤工事が進んでいるが、まだ線路の姿はない。沿線も平和な田園風景。
2014/1/1

路盤、そしておそらく線路設備もほぼ完成していた。
川本流のPwintbyu側にワジ(雨季や降雨時のみ水流のある涸川)ができており、その区間を橋梁としている。大小2つの橋梁と築堤で構成された河川横断である。結果論とも云えるかもしれないが、MyanmarTimes 2017/8/4の記事にもあるとおり、本来1つの大きな橋梁を建設すべきところ、目先のコストダウンに惑わされて*1、2つの部分に分割してしまった模様。
当初の地形からではわかりにくいが、この地におけるワジの出現もその後の惨状を推測する鍵だったと云える。ミャンマーでは治山・治水事業ができていないまま上流域山岳地帯の開発が進められ、下流域で水害が発生している。
2015/11/14

そして2015年9月、サイクロンによる大雨の影響から、ミャンマー北西部のチン州、ザガイン・マグウェ両管区を襲った大水害が発生、おそらくこの際に線路設備も流されたと推測される。画像はその1ヶ月半後のもの。実際の水害規模も大きかった事から真偽は何とも云えないが、引退した老橋梁技術者は「不要な橋脚により川の流れが妨げられ、堆積が片側に偏り、もう片側は侵食されやすくなった」と語り、いびつな橋梁形状に起因する形で水害の被害も増大されたとPwintbyu周辺の地元住民に思われている。
2017/1/27

川はさらに広がっているが、氾濫原に緑が見られるなど安定している様子も伺える。大きい方の橋梁の中央寄りの橋脚周辺に堆積物によると思われる中洲ができてしまっている。線路設備の改修をしている様子はない。2つの橋梁は無残に残り「超芸術トマソン」と化していると思われる。
Hsinbyukyun - Pwintbyu間は、MRの公式サイト内や旧"New Light of Myanmar"バックナンバーにも開通日の記載がなく、開通する事なくプロジェクト中断となってしまった可能性が高い。2016年のNLD政権発足後には鉄道建設どころか鉄道事業自体が縮小されており、現状では同区間復旧およびエーヤワディ西岸鉄道全開通の見込みはほぼなくなってしまった。

*1:不幸にも潤沢とは云えない財政状況によってミャンマーではよくある愚行である