Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

I am still alive.

わざわざ声を上げて述べるほど面倒くさい奴ではないつもりではあるが、それを述べないのもまた面倒くさい奴であるとも思ふ。
と云うわけで、私は時折、と云うかおおよそ10年に一度くらいだろうか、抑鬱的な状態(他人にはそこまで深くなく見えるが、希死念慮が強く出るので、自分の中ではわりと厄介な問題だ)になる。その一度と云うのは、健常者としては(一生鬱の人からは軽く見えるであろう)比較的長期にわたる。2年くらいだろうか。
前回はそれが、東日本大震災の前年くらいに始まった。東日本大震災の時には全然治っておらず、正直ダイアリもひどい。毎日のように、だが決して毎日ではなく、睡眠時間の記録を取っているのだが、自分のように睡眠時間が適切に取れない(長時間睡眠と短時間睡眠どちらもある)人間には、自分がダメ人間である事を確認する事にしかならず、まったく生活改善には役に立っていないのが我が事ながら痛々しい。
で、東日本大震災と云うのはもちろん大災害ではあったのだけれど、私が生きるか死ぬかを勝手にやっていたと云うこともあって、なぜだか他人事ではない出来事であった。ほんとうは他人事である。我ながらひどい。だが、大切な友人が東北にいることもあって、関西淡路大震災と同じく、気が気でなかったのも嘘ではない。
よくわからないけれど、とにかく、翌年から毎年この時期に東北を、特に三陸海岸沿いを訪問している。正直なところ、寒い時期で、まったくいいことなどない。この訪問を口実にして大好きな友人に会うのは素晴らしい楽しみであるが。それはさておき、だが、訪れずにはいられなかった。ただ、それはほとんどダイアリには書いていなかった。Twitter等に書いていたからこちらは別にいいと思っていたわけではない。ほんとうに書きたくなかったのだ。重ねて重ねだが、しかし、訪れずにはいられなかった。
だが、今年まわってみると、旅人の私がまったく必要とされていない事にはたと気づいてしまった。何もしていないのだから、2012年だろうが2016年だろうが必要とされていない事自体には間違いなく違いないのに、なんだか打ちのめされた
ちなみに復興が完了しているという意味ではもちろんない。観光等で興味がある皆さんは是非行かれると良い。

私を確定的に打ちのめした、陸前高田旧市街のバベルの塔。意味がわからない。この築堤の上だか下だかに皆さんお戻りになられるという。城塞都市メルキドか。(いや、住民の皆さまを揶揄したいのではないことだけはわかっていただきたい。これがおそらく最善手であることもおそらくそうであろう)
だが、これが私を徹底的に打ちのめし「もう3/11周辺に東北に行くのはやめる」と突然決心させてしまった。
まぁ、翌年はビルマにいて、来れなかったのだけれど。