Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

高校必修科目の未履修問題

わが母校でもその問題が出てきました。今の校長先生は以前我々も英語を教わった先生。面白い方だったけれど、例えば英語の教え方とかに限って云えば別段評価していたわけでもなかったのだが(酷い云いようだw)、今回校長として、きっちり生徒に頭を下げているあたり、責任をとる仕事をしているんだなぁ、と細かいところは考えず感慨を覚える。つまりはうちの会社の支店長とか、出先の支社長(BOSSだw)とかの役割。実際の業務の責任者じゃないけれど、名前として責任を取らなければならない人。
当時は尊敬していたわけでもないし、今も特別な感情があるわけではないけれど、彼の事を誇りに思います。素敵な校長先生です。
うわ。なんだか眩暈のする話。
ね、例えばだけれど、私の年代のちゃんと働いている人が少ないからって、私が将来責任ある地位になったとして、自分が直接悪いわけでもない問題に関して、頭下げたりできるんかね。その恐怖の未来に、ただただ愕然とする。
えっと、きちんとロールプレイが出来ている方々にはまったく何の問題かわからんだろうけれど、私は相変わらずこんな事で躓いたりしています。って、おい。


閑話休題


で、この問題。勿論悪いのは校長じゃない。OK?
さりとて現場で倫理と政経をすりかえた責任者(教頭とか、高校にあったか忘れたけど(^^;)教務主任さんとか?)が悪いわけでもきっとない。
だって、高校ったって、英語科+普通科の学校(アシがつきそうw)は結局のところ、進学するための学校であって、しかも大人の階段駆け上がっちゃってる高校生に正しい人の道を改めて教えてやるのが第一義な訳でもない。脱法しちゃいけないのはいけないんだが、しかし脱法してるのを責めるのって、結局○ヤとか○ウとか○○開放なんちゃらとか、存在自体が脱法じみてる(誤解と云うか罠を怖れず云えば)連中なんですよね。
結局、うまくやっていくためには、建前上はやっちゃだめだけれど脱法も含めた運用が必要なわけじゃないですか。そりゃ脱法せずにうまい運用組むのがベストにはベストなわけですが。と、今の状況ならそう云えるでしょうが、それは安易な結果論です。
じゃ、何が悪いのかって、見落としちゃいけない、学習指導要領や文部省の欠陥。
マスコミもあいもかわらず安易な報道で、学校現場(そうよ、現場よ)に全ての責任を押し付け、叩いたもん勝ちの垂れ流し。
この問題は、当該の学校現場が事勿れ主義だったら起こっていない問題。だって生徒の事を考えてなければ、文部省にたてついて学習指導要領に則していないような授業を行うはずがない。

私の頃も、私が把握した限りでは学習指導要領に則していないほどの事はしていなかったかに思いますが(ガキの把握なので、勿論そうでないかもしれません。笑ひ。)、例えば普通科と比べれば体育や芸術系の授業が少なかった(確か。なくはなかった)り、英語科なのにもかかわらず、英語のコマを減らし、数学を増やしてみたり、苦心の運用を行っていた筈です。


そんなわけで、理由になってるかどうか知りませんが、この問題では、母校を含む学校現場を叩く気にはなれませんね。
ただね、母校もそうなんですが、強制補習のやり方がちょっとイマイチなんじゃないの、と云う気はします。
あと、例えば推薦入試とかの進学者の単位認定の問題とか。
基本的には文部省が「すまんかった。責任はうちが取る。大学は生徒を悪いようにせんといて。生徒には悪いがちょこっとだけでいいから補習やってくれ」って云えば済む問題なんだが。大臣のケツの穴は残念ながら相当小さいようで。


あと、別の県ですが、この件絡みと推測される、自殺された校長先生の冥福をお祈りします。
こんな下らない事で自分を追い詰めてしまって、おそらく論理的にではなく、鬱病を発症した末での突発的な自殺だったのだと思いますが、本当に痛ましい事です。