Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

エゴイズム

かなり昔からの事なのだけれど、どうも「肯定すべきエゴイズム」と云うべきものの扱いに戸惑っている。
こんな事、中学生か高校生、遅くとも大学生時代にまとめておくべきで(いや、已むを得ずではあっても取り組んではいたと思うのだが)、人生の上でのフェイズとしてはかなり出遅れている感があるが、いつも出遅れまくっている今日この頃の私なので、そのあたりは已むを得ない。
自分のなかで、その手のものが希薄である事はわかっているし、改めて構築できるものでもあるまい。また、歳をとってそれでも「そんな自分が好きだ」くらいの事は云えるようになった。それで充分であろう。たぶん。 だって本当はそんな事すら云うのも恥ずかしい。でも自己愛は必要かもしれないし、少なくとも構造的に求められるものだ。多少の用意はあってしかるべきであろう。
しかし問題は他人だ。
今も昔も、私は存在論的なエゴイストたちをどう扱っていいかわからない。ほんとうのところ、私は非常に冷たい人間だから、基本的には「ちぎっては投げちぎっては投げ」してきたわけだけれど……。
偉そうに云えば、構って欲しい人を構ってあげるべきなのか、或いはそれらを構う事が自分にとってプラスになるのか、そもそも自分にとってプラスになることを私が求めているのかどうかすら、現在でも悩ましい問題なのだ。
根が適当なので、構っていられない時は問答無用で投げ捨てておくけれど。