Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

『涼宮ハルヒの憂鬱』について私的Cahier-1

アニメと云うカテゴリがないが、敢えて作る必要を感じないので作らない、と云うことを前も云った気がするが、いつか思い出せないくらいだからそれで正解であろう(挨拶)
以下リンクと殴り書き。
はてなのキーワードが既にGJっぽい。放送話数(放映順)と構成話数(DVD内の並び順)のシャッフル。
少なくとも原作を読んでない人には意味がわからない、滅茶苦茶なオフィシャルサイト、原作・アニメ劇中のサイトと同じように作られていたり、ソースにもギミックがあったり。
みたいもん!: 涼宮ハルヒが起こしたYouTubeの憂鬱、ネットマーケティングの大成功例。
ねこ的Webメディア論「涼宮ハルヒ」に見る欲求喚起型プロモーション:前編
「涼宮ハルヒの憂鬱」は結局のところ「ポスト・エヴァ」なのか?
OP・ED・劇中歌の歌詞とか
EDの⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン、でVIPPERの心も鷲掴み!
作品自体の筋書きとしては、ただのラブコメであって別段面白くもなんともないが、でもそれを楽しんでねーと云うギミック群が良い。邪気がないのである。ヴァンゲリとの類似が指摘されているが、こちらのスタッフとか原作者の心根の明るさが伺われる。
孤島の事件篇と解決篇を間に1話挟んで放映するところとか。トリックなんだけど、悪気はない。次週予告で「えっ? 解決篇しないの?」とキョンが云っている。で、その次の週にやると。
キー局がなくても(ローカル局オンリーでの放送)、ようつべでOK、Internetの口コミで広がるブーム。ブーン。
キョン:本名を明かされない、普通の人間(没個性+作品世界内の良心)、何故かヒロインたちに選ばれる男=すべてを容認するエロゲの主人公的寛容さ+フラグ立て+鈍さ、視聴者(おそらく読者も?)はエロゲプレーヤーになっていいよと云う作り手のサービス精神、そして視聴者も読者もその枠組みを理解した上で楽しめる(庵野的ネガティヴさがない)と云う、作品の完成度と良心。
最終回(放映第14回)に構成第6話をもってくるところ。シャッフルするのであればこれ以外の手はないと云えばないのだけれど、そうそううまくできるものでもなく、構成のうまさが際立った。と云うか、単純に幸せな気分でオシマイにできる、ジョリーグッドなハッピーエンド。ハッピーエンドは時としてつまらないものだが、まぁ内容は確かにつまらないのだが、それよりも幸福な印象が強く残ったのが面白い。
自分に鮮烈な印象を残したのは、放映第12回(構成第12話)の「ライブアライブ」。学園祭のライヴで歌う、劇中歌の異常なまでの作りこみ(特にアニメ部)。学園祭っていいよなぁ。ノスタルジア。もし、私と同じくらいの歳の方で、「学園祭」と云う単語に無条件のノスタルジアを感じるようなタイプの人はようつべでもなんでもいいから見たほうがいいかと。出来れば私のぶんまでDVD買ってあげてと云う気もしなくもないですがw

因みに私は「ラノベ読んだら負け」と云う偏狭な価値観があるので、原作は読まないと思う(^^;
(続く)