Intermezzo - Cahier

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生きる事の答えを

中田泣いた!! このまま引退も…誇りズタズタ (注:ZAKZAKですw)

ドルトムント久保武司】誇りをズタズタにされた今、ヒデの胸に去来するものは…。サッカー日本代表のエース、中田英寿の引退が22日、W杯ドイツ大会1次リーグ敗退で現実味を帯びてきた。「守らなければならない」と自身の公式ホームページで誓った代表としての誇りを、完膚なきまでに打ちのめされたブラジル戦。ピッチで涙を流した中田英の決断は−。

「この試合が最後にならないことを信じ続けて」とつづった中田英の思いは通じなかった。ただただ、完敗だった。

試合後、ブラジルのルシオとユニホームを交換すると涙がこぼれてくる。ピッチに倒れ込みながら天を仰いだ。5分、8分と時間が経過していく。約10分後、係員にうながされて立ち上がるまで、玉のような汗に混じって、両目からはキラリと涙が光る。

日本サッカー協会会長・川淵三郎キャプテンは、選手を出迎えるために通路に足を運んだ。

「よっぽど悔しかったんだろう。ヒデは通路でも泣いていた」

ただし、クールを身上とする中田英は、報道陣の質問を受けるミックスゾーンでは、まったくそんな素振りを見せなかった。

−泣いていたようですが?

「そんなことはない」

−試合後、ピッチで倒れ込んでいましたが。

「疲れていただけです」

振り返れば、02年7月、ジーコジャパンがスタートした時点で、すでに「代表引退」を決めていた。その時点で、トルシエ前監督との確執から、代表からは退く覚悟でいたのだ。だが、協会スタッフに、「まずはジーコ監督に会い、1対1で話すことが誠意」と説得を受け、ジーコ監督と会談。

そこで同監督の「最後まで100%君を信頼する」との言葉を受けて、ジーコ&ヒデの2トップ体制が確立した。この4年間、中田英は日本代表ではピッチの王様であり続けたわけだ。

5月30日のドイツ戦での善戦後には、中田英は練習中も国内組と戯れる姿が見られ、W杯へ向かうチームのムードは良好だった。しかし、最後の強化試合となったマルタ戦のふがいなさに、「走らないとサッカーは始まらない」と激怒。

その一方で、その発言を新聞、テレビなどの報道を通して知った選手たちから、「チームの中では、怒った素振りは全く見せていないのに…」と、二面性を指摘された。この一件で、良好だったチームメートとの関係がぎくしゃくとなってしまう。

溝は深まる一方で以後、中田英は一切、チームメートと談笑することはなかった。豪州戦を迎え、さらにクロアチア戦の直前練習で、「事件」が発生。

「2度と同じ失敗をするわけにはいかない」という中田英が堅い決意を秘めていたところに、ジーコ監督から出た指示は「守備的にせよ!」。

これまで選手の自由を支持し「攻撃的に行け」とされていた方針が、急遽(きゅうきょ)、180度転換されたのだ。

98年フランスW杯のチームメートで、ジーコジャパンの視察に来ていた名波浩(磐田)らに、中田英は「こんな練習をしていたのでは、絶対に勝てない」とぼやいたという。ジーコ監督との信頼関係にも亀裂が入ったのだ。

「チームメートとうまくコミュニケーションがとれない」ことに悩み続け、親しい関係者に、「おれは個人競技の方がむいているのかもしれない」と、サッカーを選択したこと自体にも疑問を投げかけていたという。

中田英も来年で30歳。今大会も、日本の報道陣にコメントすることは極力避け、1人で居残り練習をするなど、チームプレーを重んじる代表チームの中では完全に浮いていた。

また宿舎の中でさえも、毎回の食事は、「いつも最後に来て1人きりで食べていました」(日本協会関係者)という証言もある。

今後は、所属するボルトンとの契約問題もあるが、中田英がこのままサッカー界から「引退」する可能性すらある。

サッカー日本代表を引っ張ってきた中田英の視野に、次のW杯(2010年・南アフリカ大会)は入っていないのか。

試合後のインタビューでは、「まだまだ力が足りないことを実感した」と今大会を総括。ただ、南ア大会について問われると、「はい…」と発しただけで会見を打ち切り、明言を避けた。

サポーターにもあいさつもせず、たった1人でグラウンドにあおむけで倒れ込んでいた胸に去来したのは、やはり「引退」の2文字だったのかもしれない。

なんともコメントしがたい。