Intermezzo - Cahier

はてなダイアリから参りました(

今日は疲れた。独り言と語りかけ。或いは騙りかけか。

未来に向かって開かれる時、私は兢々として過去を振り返る。
経済人たる以前の首領、某社長は「過去を振り返るな。無駄だ」と説いた。それは仰るとおり。だが、如何せん私は非経済な人間である。たとえ一般的には経済的に見える人生を歩みつつあっても。


色々ありまして、今日から引継ぎ。
入社後1ヵ月半。ようやく、在るべき場所へ戻されるフェイズに入ったようです。
別に仕事自体はスムーズにいってるんですが、まぁ今までの無責任丸出しは流石に鳴りを潜め。
と云うわけで、久々に疲れてみたり。いあ。別に久々ではないけれど、何と云うか、業務より職務みたいな、ね。


で、区に戻って一息ついたところで、昔を思い出し。昔と云っても大学でうだうだうだうだうだやってた頃。その頃の私の事は、プロの書き手さん(後輩と云うか友人)による貴重なルポルタージュとして残ってます。
#……嗚呼一生の恥w


しかしこれ、当時の自分が未来の自分に課した、つまり故意に残した「黒歴史」だと記憶の余韻が語っている。
誰しも、認めたくはないものだな、と云うあれやこれやはあるかと思うが、第三者の手による証拠と云ふのは、残酷なまでに鮮明に描き出されるものであるなぁ、と改めて感じたり。
例えば「エクリチュールとは裏切りである」とか、まったくもってそのとおり。
しかし、勿論私はその書き手を怨んでなどいない。むしろ大感謝。私が東京を去ってから疎遠ではあるのだが、また"5years later"出会うのも一興かもしれない、とか思いつつ、連絡を取ることに関しては逡巡とする私であった。


J=Ph・トゥーサンの『ためらい』を参照しても良い。
トゥーサンと云えば、そうだ、以前フルボンヤ(インターネッツ上の)で買った『アイスリンク』はあっという間に読んだが、『愛しあう』を読みかけで放置プレイであった。しかしもう23:52である。さてどうするか。いかにも秋の夜長。